ペトラを築いたナバテア人は、水資源の管理など水利技術、また洪水を防ぐ治水に関する技術に秀でていました。この展示では、ペトラから出土した水道管の展示や、ペトラでの水利施設の復元3DCG映像などを用いて、ナバテア人の水利技術の謎に迫ります。
ペトラの都市が築かれた当初、水は岩肌を掘削した水路を通じて、シャラ山地の泉からペトラへと引かれていました。紀元前1世紀までには、この展示品のような、簡素な焼成土器の水道管が水路上に敷設されるようになります。水道管は、導水の過程における水の蒸発防止や水質汚染の減少に役立ち、公共建造物や住居への給水がより効率的となりました。
時代が経つにつれて、水道管はより優れた接続部分を備えた形となり、水を通さないセメントで接続部分が密閉されるようになりました。4世紀までに、水道管の形は、すぼまった中央部分を囲む厚い壁により、水道管内が徐々に細くなるような形となっていきました。こうした独特の形状は、雨期に水道管内を流れる水の速度を遅くするために考案されたと推測されています。水の速度がもし急激に速くなるような場合、焼成土器の水道管に、亀裂が生じて破損する恐れがありました。
ナバテア人は、焼成土器の水道管に加えて、紀元前1世紀末には、鉛管(えんかん)の水道管も使用していました。この鉛(なまり)でできた水道管は、まるで現代の亜鉛めっき管のように見えるものです。水道管を通る泉の湧き水には高濃度の石灰分が含まれていたため、鉛管を使い始めてからすぐに、鉛管の内側を高密度の石灰沈着物の膜が覆う状態になります。これにより、鉛でできた水道管から供給された水を飲むことによる、鉛中毒が回避されていました。
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