ギャラリー7 : ペトラの斜陽

栄華を謳歌したナバテア王国は、106年にローマ帝国に併合されます。この展示では、ナバテア王国の終焉以降、ローマ時代からビザンツ時代、中世イスラーム時代から十字軍の到来に至るまでの時代、交易で栄えた都市の様相を徐々に失い農村地帯へと変貌していくペトラ地域の歴史を、各時代の代表的な遺跡からの出土品を通じて概観します。

アラビア語碑文(石灰岩)

このアラビア語の碑文は、ワディ・ムーサのヒルベット・バニ・アタにある伝統建築で再利用されていた状態にて発見されました。建物の壁の石灰岩ブロックとして用いるため、碑文の端部が切除されたことにより、最初の一行または数行の全体、およびいくつかの行の冒頭と末尾が欠如しています。

アラビア語の銘文は、子音の点が入ったクーフィー書体で書かれています。ヒジュラ暦、即ちイスラーム暦で450年代のファーティマ朝時代、西暦1058年から1067年の間に建てられたイスラーム教徒の墓碑であった可能性があります。

オーディオガイドのご視聴はこちら Click here

 

豹形把手付広口壺(大理石)

この展示品は、豹をかたどった把手(とって)がついた、大型の広口壺(ひろくちつぼ)です。アナトリア、現代のトルコの中部の、フリュギアで産する特別な大理石で作られたものです。ローマ時代の170年から210年の間のものですが、ローマ式の広口壺としては最大級で、かつ最も上質なもののひとつです。外国からペトラへの舶来品であり、106年のローマ帝国によるナバテア王国の併合後も、ペトラが裕福であったことを物語っています。ローマ時代の製品ですが、後のビザンツ時代以降、ペトラ教会にて手水鉢(ちょうずばち)として再利用されており、ペトラ教会の遺構から、細かく砕けた状態で出土しました。

オーディオガイドのご視聴はこちら Click here